Sunday 15 March 2009

メルボルンで銭湯に行く

あれは数年前のこと。オーストラリアで暮らすことに決めたはいいが住む都市までは絞り込めておらず、とりあえずブリスベン、シドニー、メルボルンを巡る旅行を計画。「ロンリープラネット」のページをパラパラと捲っていた時、メルボルンに銭湯があることを知った。「スパ」ではなく「銭湯」。日本の方が経営しているらしい。ふーん、面白そう。

やがてメルボルンでの生活がスタート。到着後しばらく暮らしたシェアハウスでは、バスタブはあったものの一人で浴室を長時間占領するのは気がひけもっぱらシャワーで済ませていた。それでも進学をきっかけに一人暮らしを始めて以来というものそうする事がほとんどで、湯船に浸からない生活にそれほどストレスを感じていなかったのだが、ある日どうにもこうにも疲れがとれない体を持て余し「ああ、お湯に浸かりたい」と心から感じた。

『ああ、そう言えばメルボルンには銭湯があるって話だったっけ』

日本人の感覚では銭湯の入場料として26ドルはちょっとした出費だが、訪ねてみることに。

109番のトラムをPunt Rd.で下車。交通量の多いVictoria Pd.を後に一方通行の狭いCromwell Rd.を北に上る。辺りはオフィス街のようだったが、日曜の午後ということもあって真っ直ぐな通りには見渡す限り人影がなく、看板らしきものも見当たらない。ひとりぼっちの状況におびえながらも「でも、確かにこの通りで間違いないから」と信じて歩き続けていると、背後に車が近づいてくる気配を感じた。しかも、その車はやたら速度を落としている。も、もしかして強盗?今なら襲われても逃げられない自信がある!怖いよ!!

気にせぬ素振りをしつつ身を固くしていると、セダンは私の脇をノロノロと過ぎ去り数メートル先でピタッと止まった。運転席からスキンヘッドの30代くらいの男性が現れ、辺りをキョロキョロ見回しながら目の前の建物に一人で入って行った。慣れない場所によほど緊張していたのか、その建物に日本語で掲げられた「お風呂屋」の文字にその時ようやく気がついた。

男性の後に続いて入り口のドアを開けると、

「いらっしゃいませー」

と普通に日本語で声をかけられた。初めての来店である旨を伝えると、日本人の店員さんは下駄箱から親切に案内してくれ、館内の設備について一通りの説明が終わると半纏とタオルを渡してくれた。2時間の制限があるらしい。

女湯へ向かう。脱衣場に入ると、すでに入浴を済ませドライヤーで髪を乾かしている地元民と思しき女性が一人いるだけだった。入店してから店員さん以外の日本人の姿を見かけない。

ドキドキしながら浴室のドアを開けると、最初に目に飛び込んできたのは・・・・・なんと湯船に浸かる先客の顔の前に浮ぶペーパーバックだった!後頭部しか見えないが地元の方のようだ。かつてお気に入りの入浴剤を入れたぬる目のお湯に浸かりながらの読書が趣味だった私でも、銭湯で同じ事をする発想はなかった。予想外の先制パンチでショックを受けたような、「その手があったか」と先を越されて悔しいような不思議な気持ちを抱きつつ洗い場へ。日本の銭湯と同様にプラスチックの椅子を一つひょいと掴んで腰をかけたまでは良かったが、シャワーを使おうとした時その作りが少し違うことに気がついた。何?これ、どこを触ればいいの?その時洗い場には私一人。いや、他に誰かいたとしても日本人が銭湯の使い方をオージーに聞けるか!という変なプライドが働いて意地でも聞かなかっただろう。しばらくして壁に使い方が図示してあるのに気づいて事なきを得た。

続きいよいよ念願の湯船に。ペーパーバックの女性は相変わらず読書に没頭している。ゆっくり足を入れお湯加減を確かめながら、ジャボン!

・・・・・はーーーーー・・・・・

全身の毛穴から心地よい暖かさが体の内側に流れ込む。これぞ至福の一瞬。何も考えられない。視界の端にペーパーバックを読んでいる人がいなければ、まるで日本にいるのと変わらない。数分おきに上がったり入ったりを繰り返すうちにすっかり体が温まった。ちなみに、お湯は本を読み続けるには少々熱すぎる温度のように感じた。なぜペーパーバックの女性は平気でいられるのか。オージーの人はアジア人よりも皮膚が厚いのだろうか?

心行くまでお風呂に浸かったことで当初の目的は果たした。もう家に帰ってもいいのだが、せっかくお店が半纏を貸してくれたことだし2階がどんな風になっているのかも気になる。ちょっと覗いてみるか、と考えながら半纏を羽織っていると、

"ハンタン is nice."

私の耳にはそう聞こえた。声の主の方を見やると、これから入浴するらしいオージーの中年女性二人連れが優しい笑顔で私を見ている。「ハンタン」って何だろ?意味が分からなかったので、とりあえず日本人得意の曖昧スマイルを返したその数秒後、

『あっ、”ハンタン”って半纏のことか!』

と気が付いたのだが、すっかり話の流れを掴み損ねてしまって今さら返事もしづらい雰囲気。ああ、"Thank you"とか何とか言えば良かったのに失礼なことをしちゃったな。自己嫌悪しつつ2階へ。

階段を上ると、そこはちょっと居酒屋のお座敷を思い起こさせる雰囲気の造りになっていた。各テーブルの下には畳のマットが敷いてある。久しぶりの畳を前にすっかりテンションの上がった私。他に誰もいないのをいいことに横になってストレッチを始めた。ああ、気持ちいい。やっぱり畳はいいよにゃー。いつまでも畳の感触を味わい続けたい気分ではあったが、新たに男性客が一人上がってきたことで束の間の里帰り気分は終了。

私の他に見かけた日本人のお客さんがついに女性一人だけだったのは正直意外だった。そういえば以前オージーのご婦人と鳥羽の温泉でご一緒したことがあったが、最初は人前で全裸になることに少々抵抗する素振りを見せていたけれど、湯船から朝日の昇る太平洋を眺めて満更でもなさそうな様子だったな。

銭湯 (NHK美の壺)
NHK「美の壺」制作班

銭湯 (NHK美の壺)
懐石料理 (NHK美の壺) 水石 (NHK美の壺) 花火 (NHK美の壺) かるた (NHK美の壺) 文豪の装丁 (NHK美の壺)
by G-Tools

No comments:

Post a Comment